大化の改新の闇




天皇中心の国家作り=大化の改新
こんにちはリョウスケです
今日は日本の大事件大化の改新です!
645年、蘇我氏を倒したあの事件でしょ!と思ってる人多いけど
これは正確には乙巳の変と言いいます!
じゃあ大化の改新ってなによ!?ってなりますね!
実は蘇我氏を倒してクーデターを成功させたあとの政治改革の事なんです…
中大兄皇子を中心とした新政権が行った政治改革の事が大化の改新!
だから蘇我氏を倒した事件は何乙巳の変と言うからね!
大化の改新は中国で勉強して来た留学生をたよって当時のイケイケ最先端の中国の律令制を手本にして、 天皇家を中心とした新しい日本をスタートさせる為の政治政策の事!
ちなみに律令制は中華思想をベースにしているからこそ!
基本的には皇帝中心、つまり天皇中心!
そうした中央集権形の国作りになっていくよ
ちなみに
- 律=刑法
- 令=それ以外!他の行政ね、つまり税金!使い方!とか
こうしてルールを作って中央集権化して日本をひとつにする!!そして天皇をトップにやっていこう!これが大化の改新ね!
律は刑法、令はそれ以外(主に行政法。 … 律令国家の基本となる法典。)
※東アジアで見られる法体系です
①乙巳の変
蘇我いるかを倒したクーデター


大化の改新と乙巳の変の関係を伝えるなら
- 乙巳の変が→きっかけで(クーデター)
- 大化の改新→メインの(政治改革)
ってな感じね
ではなぜこのクーデターおこした?目的はなんなのか?
理由は当時の日本は豪族がそれぞれ幅を利かせていた、その中でも最強だった蘇我氏だった!
しかもビックリすることに!天皇よりも影響あったなんて言われてる、
簡単にいうと蘇我の力を弱くしたい!
また天皇中心でやっていきたいって話だ!
なんたって当時はまだまだ日本が豪族中心で国がまとまっていない状況だからね!
日本の政治も力ある豪族達の意見がもの凄く影響していて中々まとりにくい状況だったのだ
そんな豪族のトップが蘇我氏って訳ね!
ちなみに過去には蘇我氏と同じ位強かった物部氏という豪族もいたが過去に蘇我氏に滅ぼされていている!
もめた理由は仏教を入れたい蘇我氏派
と駄日本古来の神道を大事にしたい!って感じが理由ね!
そして蘇我氏がかっていよいよ日本にも仏教がきたって訳だ!
だから蘇我氏が豪族の中でも頭一つ抜けでた存在だったって訳!
しかもヤマト朝廷の財政を支配し、皇族と血縁関係を結び、さらには大陸の最新技術や知識も持ち合わせた当時最強の豪族ね
だから強くなり過ぎだ蘇我氏の力を削いてより天皇を中心とする改革がしたい
それが大化の改新ってわけ!
だがまた面白いなが物部と蘇我氏が戦った時に物部側に中臣鎌足がついていたからあまり政治に介入が出来なくて良い思いが出来なかったともいわれてる
そう覚えてくれたら問題無しだ
②改新の内容
古代日本の統一のための政策


はい!じゃあ最後は大化の改新の内容をさらっとやります!
ちなみに改新の意味は=古いものを改める!
と言う意味!!
大化の改新の主な4こを紹介!
1:公地公民制
豪族の領地(田畑や民も含む)を全て天皇のものにするよ人も土地だよ!という考え
そして律令制のベースね。
豪族の支配から解放した後に班田収受の法に基づき貴、族や民衆に田畑を分配しました。
2:班田収受の法
豪族の支配から解放した後に民衆に田畑を分配しして戸籍や計帳をつくって、政府から許可を受けた貴族や民衆に田畑を分けて。収獲して税金とる仕組みの事
※民衆は家族を中心とした戸こという単位で管理された。民衆は戸籍こせき、土地は計帳けいちょうというもので管理され、戸を単位として民衆に農地(口分田くぶんでん)が与えられる
3:国郡里制度(こくぐんりせいど)
全国の各地域を「国」、「群」、「里」で整理したって事!
国=都道府県
郡=市
里=村
こんな感じで国郡里という行政組織を作り、政策等を、効率的に行ったってわけ!
実際に成立するのは701年頃でタイミングが少し違うけど、政策は段階的に進められてたよ。
4:租庸調(そようちょう)
これは租税の事!まあ税金って考えればオッケー
シンプルに解説すると!
租は米の取れ高の3%を納める
庸は布を納める
調はその土地の特産物を収める
●という感じの天皇中心新スタイルでした
まとめ
- 乙巳の変で蘇我氏を倒して新しい政権による政治改革の事が大化の改新!!
- 目的は天皇中心の律令国家作り!!
- 大化の改新の主な政策は・公地公民・班田収授法・国郡里制・租庸調制
ちなみにこの時代に初めて元号が使われたよ、大化の改新の大化が日本初の元号だよ、ちなみに当時の元号は災害や疫病等の不幸が起こるたびに変更していたよ
理由は災いのリセットの意味も込めてだよ!!
大化の改新の動画を作ったから良かったら見てちょんまげ!!w
ほい!!