保元の乱と平治の乱



はい!今日は2つの戦いです!!保元の乱と平氏の乱をやります
まずは保元の乱は天皇と上皇が跡継ぎ争いで対立して戦った戦争です
戦いの内容は天皇と上皇の戦いだからと言って貴族がバチバチやりあった訳じゃない
そう代理戦争!源氏と平氏のね!
ただポイントこれは決して源氏と平氏が戦ったのでは無い!
身内がそれぞれ別れて別々に戦った
さらに院政の問題で力の弱まった藤原一族も関係してくる!身内同士の悲しき争い
ちなみに天皇側が勝った
天皇家の家督争いで初めて武士が動員された戦い!(武士無しではどうしようもない時代へ突入)そしてこの戦いキッカケに武士の存在感が日本中で広まり700年に渡る武士の時代になったよ!
平治の乱は保元の乱の第二ラウンドで平清盛と源頼朝の天皇のNo2をかけた戦い!!

保元の乱
後白河天皇と崇徳上皇の跡継ぎ争い。※身内の喧嘩
- 崇徳上皇 → 藤原頼長 源為朝 平忠正
- 後白河天皇→ 藤原忠道 源義朝 平清盛
親子・兄弟それぞれどっちにつくか?的な雰囲気で身内なのにバラバラになるのだ
保元の乱!(1156ねん)
※この当時の武士2代勢力が源氏と平氏
・保元の乱は平安末期に天皇家の家督争い!これから始まる武士世界への始まりとなった乱。
皇族も貴族も公家も、源氏も平氏も、親兄弟、親族が両陣営に分かれて戦った悲しき争い、源氏と平氏の武力を利用した政変。
この戦争によって武士が力を持つようになった
そして後に平清盛の平家が政治の実権を握る事に繋がる乱でもある、そしてこの流れで後の平治の乱は起こる!

平治の乱!
第二ラウンド保元の乱で勝者した源氏と平氏のバトル
つまり後白河天皇チームの二人源平の戦いだよ!!きのうの敵は今日も敵!さあどっちがNo2なのかというい事ね
源義朝や平清盛といった武家が政界へ進出することになったのが1156年に起こった「保元の乱」から!
そして勝者の二人がどっちか本当のボスや的な感じで戦ったのが平治の乱!!
つまり保元の乱の勝者の源義朝と平清盛が争い、平家が源氏を倒したのが1159年に起こった「平治の乱」です。
ものすごく悲しい事だがこの戦のポイント
※ポイント
保元の乱で皇族も貴族も公家も源氏も平氏も、親兄弟、親族が両陣営に分かれて戦ってさらに勝者がまたどっちがリーダーか?
的な感じで戦ったバトル
はい!と言う事でね…
小さな頃から俺は仲良くしろ仲良くしろと親に言われて育って来たけど、昔は仲間として戦っても次にすぐに敵になる
こんなハードな生き方をしていたわけです!
いやー仲良しは難しい

平氏の乱その後
平家全盛期を迎える♪
平治の乱で源義朝VS平清盛になって勝利した平清盛は平家の全盛期を迎える事になった
ちなみにこの時、後白河法皇→出家して法皇になったよ!
源サイドは敗れたのだが後白河法皇は平氏の味方をしていたよww
ってな感じで平家は全盛期を迎えていく事になります
これがこれから長く続いていく武家社会の始まり
こうして源氏は衰退していく
しかし…
この時義朝(よしとも)に息子がいたそう若いと言う事で命は免れたのだ
それがあの有名な源頼朝(長男)と源義経(3男)だ(ちなみに3兄弟)
頼朝は伊豆まで島流しになるのである
ちなみにこの辿りついた伊豆で奥さんの北条政子と繋がるのであった、ビッグカップル誕生なのだwww
平治の乱その後
清盛は実は優しい?
実は平氏の戦いで敗れた源氏を根絶やしにしないと将来復讐される!
と平家の中で言われていたかか結果的に清盛はしなかった!
結果的にはこれが原因で後に平家は滅ぶことになる!
だけど清盛の幼い子どもを思う気持ちがあったのだと思う!
今も悪人のイメージが強い平清盛
人間味のある男なんだと凄く思った!
ただ今回平家が自分の選択のミスで滅んでしまう!
仮に平家が残っていたら清盛の現在の伝え方に、イメージもまた違っていたと思う
今回の保元の乱、平治の乱で身内同士で乗り気ではないであろう戦いをしていた時代でも
子どもを思う清盛の気持ちに俺はグッどきました
はい以上
ちなみ動画もあるから良かったら見てちょんまげ!!!
保元の乱・平治の乱
平清盛